パチンコ

東京の古本屋日記なんて言いながら、大阪舞台の幼少期の思い出ばかり書いてます。

僕のオトンは40歳代後半まで職業は役者でした。なり始めは大阪NHKの社員として、ラジオドラマに出演してましたが、僕が小さい時はTVや舞台の脇役が多かったようです。

しかし、僕が12歳頃でしょうか、スッパリと辞めてサラリーマンになりました。その時の顛末や役者だった時のエピソードなどもオモロイお話が、まんさいなのですがまた別の時に。

で、とにかく役者と言ってもたまにあるひと月公園の舞台の脇役などがいい仕事で、辞める前の何年かは仕事もほとんど無かったようです。

オカンはそんな窮乏状態の家計を支えるために洋裁の仕事に精をだしてました。

うちの家はちょっと訳ありで、オカンのオカン、要するにおばあちゃんの家の二階に家族4人が間借りしてるという状態でした。決して広い家ではなくて、古い町家でしたが、周りは長屋ばかりなのに何故かウチだけ路地に囲まれた一軒家でしたが、まあその家のなかの色々な話もなんやかやとありまして、それもまた今度。

で、タイトルのパチンコですが、要するに暇なオトンがらそんな家にも居づらくて、パチンコに行くことが多かったのです。そのため夫婦喧嘩もしょっちゅうで、オカンは不機嫌な時が多かったのです。

「また、パチンコいってるんやっ。しゃーないなもうっ!」オカンが顔をしかめて文句いいながらイライラとミシンを踏んでいるのは側に居ても本当に嫌で悲しく暗い気分になりました。

そして、オトンが夜遅く帰ってきたら必ず「離婚するっ!」に始まって狭い家のなかで夫婦喧嘩が始まります。

僕はじっと寝たフリをして喧嘩が終わるのを待つしかありません。

そのせいで、学校から帰る時は「どうか今日はお父ちゃんとお母ちゃんが喧嘩しませんように。パチンコ行ってませんように。」と祈るような気持ちでした。

ある日、オトンが夕方から出掛ける事があったのですが、僕はまたパチンコに行くんじゃないかと心配になってコッソリ後を付けたのです。

オトンはそのまま、五分ほど歩いたところにある地下鉄の駅に続く階段を登っていったのでホッとしたました。

その道すがら、オトンの後を付ける僕を見て近所の井戸端会議のオバハン連中が、「お父さんの後付けてるんやで」とか何とか言うのが聞こえました。一応役者なので近所には顔が知られていたのです。そういう事も子供心に何故か凄く嫌だったのです。

また、小学校一年生の時に父親参観日があったのですが、その時に父親の事を作文に書く事になってたようで、僕はオトンが戸棚からコッソリお金を持ちだしてパチンコに行ったものの負けて帰って来て夫婦喧嘩になる事を書いたようで、その作文が教室の後ろに貼られていたそうです。

それを参観日にオトンの代わりに来たオカンが読んで、恥ずかしかったのでしょうが、帰ってきて笑いながらそのことを話してたのを今でも覚えてます。

先生もちょっとした有名人のエピソードとして面白いと思ったのでしょうか。

その後、オトンが役者を辞めてサラリーマンになった時はとても嬉しかったし、決まって給料がもらえる事になったのでオカンもピタリと文句を言わなくなり、夫婦喧嘩もなくなりました。